
経済経営研究所の後藤将史准教授は、伝統的な日本酒の造り手である杜氏の制度と知識継承というテーマの研究を進めている。時を同じくして、2024年12月には、日本酒を含む「伝統的酒造り」が、ユネスコから無形文化遺産に登録され注目を浴びた。これまでの研究でわかってきた日本酒産業の現状や今後の研究の展望、AI(人工知能)の進化に伴い変わりゆく専門的な仕事の将来像について聞いた。
伝統制度に眠る 現代への示唆
杜氏制度をなぜ研究しようと思ったのですか。
後藤准教授:
私は元々、「専門性」をキーワードに、専門的な知識や技術が、社会の中でどういう形で組織化されていくのかを研究のテーマにしています。メインの研究で「現在」を取り扱っているので、「過去」や「伝統」という観点から、杜氏制度に興味を持ちました。伝統産業では、昔からの職人の専門的な技術が継承されており、日本酒産業はその代表格です。社会が大きく変わる中でどのように知識継承が続いてきたのか、他の産業や専門職にもヒントとなる可能性を感じ、研究を始めました。実際に研究を進める中で、酒造りの視点を通じて日本各地の歴史の豊かさや文化の多様性を感じられる点も、面白いと感じます。
杜氏とは日本酒造りを司る責任者のことで、江戸時代から全国各地で伝統を引き継いでいます。昔からの杜氏は、通常は農業や漁業を営んでいて、冬季に出稼ぎで酒蔵に入り、連れて来た地元の蔵人たちと一緒にお酒を造り、また春に故郷に帰っていくという1年のサイクルを繰り返していました。
昔ながらの出稼ぎも最近は減って、国内消費が減少するなど日本酒を取り巻く環境が大きく変わっています。そんな中、どういう形で酒造りの技能や知識を継承していくのかが、日本酒業界では大きな課題になってきました。まだ研究を始めて間もないのですが、まずは実態調査を進め、知識継承や専門性に関する理論的な示唆を出すために研究を進めています。
実態調査はどのくらい進んでいますか。
後藤准教授:
私の専門は組織論という企業などの組織を研究する分野ですので、主に各地の杜氏組合を研究しています。具体的には、杜氏組合や自治体の聞き取り調査を進めています。日杜連(日本酒造杜氏組合連合会)加盟の杜氏組合は18組合あり、そのうち14組合の聞き取りを終えたところです。
その結果、全国に点在する杜氏組合には、その成り立ちと活動内容について、いくつかのパターンがあることがわかりました。調査結果から考えると、18組合は5つほどのタイプに分類できます。同じ「杜氏組合」という組織が持っている隠れた多様性が、初期的な発見の一つです。
日本には、各地に昔からの杜氏集団があります。古いものは江戸時代には既に実態があり、史料が残っています。たとえば、兵庫県内で言いますと、丹波杜氏と但馬杜氏が現在まで活動しています。全国では、石川県の能登杜氏、岩手県の南部杜氏、新潟県の越後杜氏などがよく知られ、一定の規模を維持しています。また、主に明治時代から大正時代にかけて、各地で新たな団体が作られました。明治時代から組合組織に関する法律が整備され、20世紀の初頭にかけて、各地にあった集団が杜氏組合として成立しました。
杜氏組合のさまざまなタイプ
全国の組合は、どんなタイプに分かれるのですか。
後藤准教授:
一つ目は、決まった地域でなく全国から会員を募集し、組合をオープンにする方向性を取っている団体です。
元々は、地域の人の集まりでしたが、出稼ぎも減少し集団の規模を維持するのも難しい中、伝統を残すため、全国から興味のある人に研修に参加してもらい、組合が資格の認定を担います。受験資格は出身がどこであってもよく、技能があれば認めるという形です。昔は、杜氏が各地に出稼ぎに行って、酒造りの技術を広げていましたが、全国から研修や試験を受けてもらい、「××杜氏」となって、それぞれの地元に帰り自分の酒蔵で酒造りをする。そうしたタイプの組合です。現代的な専門職に近づく方向性をとった組合ともいえます。
二つ目は、地元の酒造企業と一体化して、地元企業のために人材を育成する仕組みに生まれ変わった組合です。県内企業の従業員に対して、行政の支援も得ながら体系的な研修とネットワーキングの機会を提供する、企業主導型の組合です。このタイプを成功例とみて、他の地域や組合が新たにこの方向性を目指す例もあります。
三つ目は、杜氏組合という枠組みで伝統を維持することに重きを置くタイプです。現在では、各地で杜氏や蔵人が社員化し企業の中に入って、酒造りをするケースが増えています。そのため、組合としての活動はかつてほど活発ではない例が多いのですが、地域に根付いた伝統を保存する拠り所として機能する側面があります。
四つ目は、主に明治や大正時代に杜氏集団として育った組合に多いのですが、オープン化や企業との一体化のどちらのやり方も取らず、活動が縮小傾向にある組合です。杜氏組合としての活動実体が薄れていて、今後どうしていくのか悩ましい状況にあります。
最後に五つ目のパターンは、平成に入ってから結成された新しい杜氏組合です。昔は杜氏がやってきて酒造りをしていたが、出稼ぎに来られなくなって、地元で造り手を担うようになったものです。先に挙げた二つ目のパターンに近い例もありますが、古い組合に比べると活動範囲をしぼり、知識の共有やネットワークを広げることに重きを置く傾向が強くなっています。
このように杜氏組合には多様性があって、それぞれ違う方向性があり、異なる悩みを抱える実態が、調査から見えてきました。

研究は今後どんな方向に進めますか。
後藤准教授:
まず、対象を広げて聞き取り調査を継続します。今は杜氏組合を中心に話を聞いているので、組合の存続を前提とした意見が多いのですが、立場によっては、杜氏組合という組織そのものにあまり意義を感じていない人もいると思います。
特に若い世代の造り手は、伝統的な杜氏組合の必要性を感じない傾向があります。今は、SNSで誰とでも繋がってやり取りできるので、組合に入らなくても最新の情報を教え合ったり、切磋琢磨したりすることができる時代です。知識継承に本当に必要なのは、組合などが行う資格認定や集合研修を超えた、つながり合う実践コミュニティなのかもしれません。そうした多様な視点から、杜氏組合の変化を多面的に見ていきたいと考えています。
合わせて、海外、特にヨーロッパとの対比から理論的な検討をしたいと思います。西欧では中世の職人ギルドが解体された後、19世紀頃からCraft Union(職業別組合)が形成され、伝統産業の技能を継承しました。しかしこれらはその後、労働組合や業界団体などに再編されています。日本では伝統産業とその仕組みが残ってきたので、まさに今になってこうした伝統の仕組みのあり方を考えることが必要になっています。こうした独特の文脈を活かして、日本発の組織論的な視点が提示できればよいと考えています。
変化を続けながらも伝統を守る
研究を進める中で、日本酒業界を俯瞰してみるとどういうことが言えそうですか。
後藤准教授:
日本酒の歴史を見ると、江戸時代以前から酒造りは常に新しい技術を取り入れ、変わり続けています。「伝統の造り方」と言っても、どの段階を伝統と言えるのか、定義がとても難しいものです。変わり続けながら、一方で変わらない伝統を継承していくことは、他業界の企業にとっても長い時間軸での経営を考えるうえで参考になる点があると思います。
最近では、AI(人工知能)を使って酒造りをする企業もあります。機械に任せることは、伝統的な技能やクラフト的な価値観とは一見相いれないものに見えます。しかし、実際にはどんどん新しいことを取り入れるのが当たり前で、むしろ本当に良いものが造れるのだったら技術にはそれほどこだわらないという考えもよく聞きます。面白い伝統産業だと思います。
ものづくりを超えていけるか
日本酒など伝統の酒造りが、ユネスコの無形文化遺産に指定されましたが、どういう感想を持っていますか。
後藤准教授:
無形文化遺産登録は、日本酒業界にとって追い風だと思います。海外からも価値が分かりやすく見えるようになったことで、それをうまく使えば、大きな機会につながると思います。
あえて将来の論点を挙げるとすれば、モノを売る輸出から、酒造りや文化などのコトをどこまで広められるか、があると思います。たとえばワインは、ヨーロッパ以外にも、それぞれの国なりのワインがあります。ワイン造りの伝統や技術、食文化が共有された中で、土地ごとの少しずつ違うアレンジが広まり、国を超えて世界に広がっています。日本酒も現在は国内産がほとんどですが、ワインと同じように、世界遺産となった伝統的酒造りとその周りの文化を世界に広めるのかというところが、大きな分岐になると思います。
AIの時代 越境する専門職
もう一つ、「専門職とクロステック産業が共進化する、人工知能時代の新しい専門職のあり方とその未来」を研究のテーマにしています。何を研究していますか。
後藤准教授:
現代の専門職は、AIなど技術革新によって、大きな変化にさらされています。こちらの研究では、弁護士や公認会計士、税理士ほか主な専門職について、AIがどのような変化をもたらすかを事例に基づいて研究しています。
特に注目している変化の一つに、専門職の起業家化があります。たとえば弁護士でも、弁護士を辞めて起業しスタートアップに参加する人が増えています。専門職の資格を持っているのに、なぜわざわざ起業するのか。昔だったらあまり考えられなかったことですが、たとえば弁護士であれば、自らの仕事をAIで革新するために「リーガルテック」や企業の世界に飛び込み、自分で不便さを変えていこうと越境する人が増えています。医師も同じように、自ら起業して技術で医療を変えることを目指す新しいタイプの人が生まれています。専門職出身の起業家にはもともとビジネス志向ではない人も多く、役割の変化を乗り越えていく必要があります。そのような起業家は、戦略行動やアイデンティティの観点で特徴があり、非常に興味深い存在です。
研究において、近い将来の展望があれば。
後藤准教授:
現代の専門職について言えば、専門職の横断比較や国際比較に関心があります。AIなど新しい技術が実際にもたらした変化を俯瞰してみることで、専門職の未来に向けた変化にどのような法則性があるのかが分かります。これは、さまざま職業がAIとの共存の仕方を考えるヒントにつながります。
「専門職」は、専門的な知識やスキルを持つ専門家を育て、資格などでその質を保ち、保護することで社会に専門知識をいきわたらせてきた仕組みです。しかし、機械が専門的な仕事もこなせるようになることで、その存在意義が問われています。国際的にも非常に議論が活発な研究分野ですので、杜氏の研究と合わせて海外発信を続けていきたいと考えています。
後藤将史准教授 略歴
2009年9月 | オックスフォード大学経営研究修士課程修了 |
2017年3月 | 京都大学大学院経済学研究科博士後期課程修了 |
2017年12月 | 慶応義塾大学大学院政策?メディア研究科特任准教授 |
2019年10月 | 神戸大学経済経営研究所准教授 |